卒業生 太田喜久子

太田喜久子

これからの社会は、人と人が支え合う“ケアの時代”に。

慶應義塾大学 看護医療学部・健康マネジメント研究科教授 | 1975年聖路加看護大学(当時)卒業

● 大学時代

聖路加看護大学(当時)では寮に入りました。1クラス40人定員でしたが全国から同級生が集まっていました。松谷美和子さん(聖路加国際大学看護学部長)とも同級生でした。学生生活への希望に満ち溢れて入った寮生活はとても新鮮でした。教室の上の階に寮があったのですが、体調が悪く寮で休んでいると心配した同級生が様子を見に来てくれたこともありました。何人かの教員も住んでいましたので、授業では厳しかった先生でも、寮では一緒にお茶を飲んで楽しくお話することができました。寮には門限がありましたが、たまに夜10時の門限に遅れた場合は、地下の一室からそっと建物に入ることができました。大学の教室と病院は扉を一枚挟んで隣り合っていましたので、朝昼晩は病院の食堂で食事をしましたが、築地魚市場から仕入れたのでしょうか、見たことのない魚の料理がよく出ました。学生は若いので食堂で提供される食事では量や種類が足りず、寮生同士で郷土料理を振る舞ってくれるのがとても楽しみでした。同級生とは、実習の苦労だけでなく寝食も共に分かち合い、まるで“家族”のようでした。今でも交友関係は続いています。

助産師として2年間働き、聖路加の教員を20年勤めました。その間、ちょうど大学院の立ち上げの時期でもあり研究科に進学させていただいたことを感謝しています。聖路加にはチャペルがありますが、そのことはとても大きいことだと思います。自分が学生のときは「素敵だな」程度にしか感じなかったのですが、聖路加の外に出たときからそのことを強く感じるようになりました。様々な学生や教職員がまとまる場・核になる精神性・祈りの場・癒される場があるということの素晴らしさがそこにはあります。患者さんや医療者も辛い時にチャペルに行けば、静かに目を閉じるだけでも救われますし、ホッとしたり、物事を考えたりすることもできます。

● 人を育てる仕事

私は大学の教員を仕事としています。医療や看護に限らずどのような専門領域であれ、それを担っていく人材を育成していかないと次につながっていかず、発展していきません。さらに、次代を担う人材を育成していく際、将来進むべき道やその方向性に正解などはありませんので、それを教えてあげることはできないのですが、学生が自分自身の道を見つけていくことを手助けすることはできます。たとえ大学入学時に将来の道が決まっていたとしても途中で悩むことはありますから、教員や先輩がその悩みを聞いてあげたり、自分の経験を伝えてあげたりすることもとても大切なことです。一方、看護や医療系の大学に入るとき自分の将来の可能性が狭まるのではないかと心配する学生もいます。しかし、様々なバックグラウンドをもった仲間との交流や授業、サークル、アルバイトなどの経験によっていくらでも人間としての幅を拡げられますし、総合大学に入学すれば他学部もあります。看護には多種多様な仕事と働き場所がありますので自分の将来の可能性が狭まると恐れる必要は全くないと思います。

すべての私立大学はそれぞれの「建学の精神」を持っています。なぜその大学が建てられ、続いているのか、その理由があります。大学に関わる全員が「そうだ、そうだ」と納得できるものがあります。そのことを学生と教職員が全員で考え、伝え合っていくことは、大学にとって最も大切なことの1つだと思います。

私が高校生に一番伝えたいことをお話します。今の若い人たちがこれから生きていく日本は、生活基盤の不安定さが増し、社会全体がどんどん豊かになっていくということを見込めない、厳しい社会になると思われます。人と人が支え合わなければいけない“ケアの時代”に入っていきます。「健康」の定義を広げて捉え、“治せない病気や怪我もあるし、心身の状態が良い時も悪い時もある。それらに寄り添ったり乗り越えながら、社会全体が支え合っていくためにはどうすればいいか”ということを全ての人が考えざるを得なくなります。高齢者だけでなく、全ての人が何らかの“弱さ”を抱えながらも自分の力を発揮するために工夫をしないとやっていけない、そんな社会において、これから看護を学ぶこと、看護職として働くこと、あるいはそこで学んだことを活かして生きていくことというのが、決して無駄にならない、最も必要とされることなのだということに、若い人に気づいてほしい。決して“今という時代”と“自分の住んでいる社会”だけを見る狭い視点に固執してはいけません。そのことに気づいた上で、それぞれが自分の可能性を活かしていく、そのための手助けをこれからも続けていきたいと私は考えています。


Other Voice他の人も見る