卒業生 秋山正子

秋山正子

看護職の活躍の場は、病院以外にもいっぱいある。

(株) 白十字訪問看護ステーション 暮らしの保健室 | 1973年卒業

● 大学時代のこと

1973年に聖路加看護大学衛生看護学部(当時)を卒業しました。

秋田県の公立高校から東京に出てきました。高校の国語の先生に相談したら「看護なら東京に聖路加看護大学があるよ」と教えてくださったことがきっかけでした。

当時は病院付属の看護師養成学校が多く、大学の看護学部は日本全国に11校しかありませんでしたので、聖路加に集まった同級生や先輩・後輩は大変意識の高い人ばかりでした。同級生では徳永惠子さん(元宮城大学副学長)ととても仲が良く、背の高い徳永さんと背の低い私で「デコボココンビ」と呼ばれていました。とにかく元気な代で、他にも野村陽子さん(元厚生労働省看護課長)や数間恵子さん(元東京大学大学院教授)などが同級生でした。全寮制の最後の代で、学生運動が盛んな時代でもあり、寮の廃止運動などもしていました。学生デモも多く、銀座で行われたデモの煙が築地まで流れてきたり、外出禁止の時もありました。日野原重明先生からは“よど号事件”の話なども教えていただきました。大学のクラスではみんなで議論を重ね「このままで日本は良いのだろうか?」「医療や看護はどうあるべきか?」などをクラス中でいつも話し合っていました。今でも同級生との交友関係は続いています。

また、演劇部に入り、授業中にセリフの練習をしていたこともありました。学部3年・4年の夏休みには50ccのバイクで同級生と2人で西日本と九州の一周旅行をしました。台風に遭遇したり、様々な人に出会ったり、とても良い想い出になりました。

● 訪問看護師の仕事、そして起業へ

私の在学時は保健師教育課程も全員必修でした。その上で私は助産師も選択しましたので、卒業後は京都の病院の産科病棟で働き始めました。第2次ベビーブームの時代でお産がとても多く、1か月160名のお産を取り扱う月もありました。実践するのが初めての技術なども一生懸命教わり、一人夜勤なども何とか乗り越え、と頑張る毎日でしたが、入職後半年経った時「大学卒の看護師だから”頭でっかち”かと思っていたけど、あなたはそうじゃなかった。」と褒めていただき、とても嬉しかったことを覚えています。当時はそのように周りに聖路加の卒業生はおろか、大学卒の看護師が1人もいない時代でした。

高校生の時に父親をがんで亡くしたことがきっかけで看護師を目指しました。最初はがん看護やリハビリ看護を専門とする看護師を目指していましたが、1990年に姉をがんで亡くしたことがきっかけで在宅看護の重要性に気づきました。そのとき母性看護や看護技術の教員をしていましたが、1年間淀川キリスト教病院の訪問看護室で在宅看護を学びながら働かせていただくことができました。学生時代に取得しておいた保健師資格がこのときに役に立ちました。

それから東京で訪問看護師として働き始め、20年以上が経ちました。在宅ホスピスケアで看取りも行いました。現在、がん患者を取り巻く状況は変わってきています。入院ではなく外来でのがん治療が増えています。また、在宅医療のニーズやがん医療に関する情報をもっと知りたいという声も高まってきています。訪問看護でも終末期医療を充実するだけでは不十分になってきたのです。

そんなときに「マギーズセンター」という取り組みに出会いました。イギリス各地に広がりつつある、病院の外にあり、予約なしで、がん患者以外のすべての人が来られる場所作りの取り組みを知り、日本のがん患者と家族にも今すぐに必要だ!と感じてイギリスのマギーズセンターに見学に行きました。病気や治療についてとまどったり孤独を感じるときに、気軽に訪れて医学的知識のある友人のような相手に気兼ねなく相談できる場所を、まずは東京に作りたいと思いました。鈴木美穂さんという方と一緒に寄付を集めNPO法人を作り、2016年10月に東京・豊洲に「マギーズ東京」をオープンし、センター長に就任しました。マギーズ東京プロジェクトの他にも、“社会の役に立ちたい”と考えている看護職以外の多くの人とも力を合わせて、様々な活動に取り組んでいます。

私はこれまで多くの“新しい門”を叩いてきました。それは地域で共に暮らす方々から背中を押されてきたからです。目の前の患者さんに必要なことは何だろうか?とずっと考え行動し続けてきました。看護職として病院・保健所・在宅・介護施設という枠に留まらない“かたち”作りにチャレンジし、私の後ろに続く人を育て、様々な人と議論を重ねながら、自立した看護職が訪問看護の世界に入れるような環境作りなどにも力を入れてきました。

看護職の活躍の場は病院以外にもいっぱいあることを高校生にも知ってほしいと思います。白衣をまとっていない看護職が地域社会ではたくさん働いているんです。そして、看護職とは“自分磨き”ができるとても魅力的な仕事です。看護は自分を犠牲にして、苦しんでいる人や困っている人に“自分を与え続ける仕事”だ、と思われがちなのですが、本当は周りの人に“自分自身を豊かにしてもらえる仕事”なんです。ケアする人や一緒に働く仲間との交流は私たちに本当に多くの深いことを教えてくれるのです。

「暮らしの保健室」 東京・新宿 にて

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