厚生労働省医政局看護課(インタビュー当時) | 1980年卒業
● 国家機関で働く看護職
私は、聖路加看護大学(当時)に編入2回生として入学し、1980年に卒業しました。その後病院看護師として働いてから聖路加看護大学大学院修士課程に進学しました。修了後に教員として4年余り聖路加看護大学で働きました。そのあと地方自治体の勤務を経て厚生省(当時)に入省し、現在は厚生労働省医政局看護課長を務めています。(2016年度インタビュー当時)
厚生労働省には、国家資格をもって働いている「技官」と人事院の行う採用試験を受けて入省した「事務官」がいます。厚生労働省の看護系技官になるには小論文と面接の試験があります。厚生労働本省の中だけでも20以上の部署で50名以上の看護系技官が働いており、地方厚生局、地方自治体や独立行政法人への出向者も含めると約70名が働いています。そのうち聖路加の卒業生は現在10名おり、出身大学・大学院では一番多いですね。
看護課などで看護師免許をもって働いている技官は、日本の医療や保健、福祉で提供されている看護サービスの仕組み作りや改善を担当しています。別の言葉で言えば、看護師や保健師、助産師の日本全体での数の確保や資質の向上、そして制度の創設や改善を通して看護サービスの質を維持・向上し、国民に質の高い看護サービスを届け、国民のQOL(Quality of Life:生活の質)の向上に貢献することを仕事としています。
看護課では「保健師助産師看護師法」と「看護師等の人材確保の促進に関する法律」の2つの法律の施行を担当しています。例えば、看護師・保健師・助産師の国家試験の実施も仕事の1つです。さらに、国家試験受験資格を得られる大学や養成所を指定するための基準改定・カリキュラム改正を行っています。
国際活動に目を向けますと、WHOなどの国際会議に参加し、世界の健康課題や取組み、各国がどのように他国に貢献できるかも話し合っています。また、他国の保健省のサポートを行っています。具体的には、カンボジア、ラオス、インドネシアやベトナムなどに専門家として看護系技官を派遣し、母子保健の向上や各国の看護職育成を支援しています。
行政官として霞が関で働く看護系技官は、現場から最も遠いところで、現場に大きく関わる仕事をしています。ニーズや解決策の案は現場の方々がお持ちですので、検討の場を設けて仕組みを作ったり改善したりすることが我々の役割であり、人脈やネットワークも活用して、“最適”を考え、サービス利用者と現場関係者のために最善を尽くす仕事だと思っています。
看護職は一生働ける仕事ですし、「自分の力をどのように活かすか」を生涯継続して追求することができます。そこも他の仕事との大きな違いのように思います。
● 大学時代のこと
私が学んでいたときの聖路加は大学全体で “ビジョンをもって新しい取り組み”を行っていました。多くの先生が医療や看護の新しいビジョンをもって学生に教えてくださり、その教わった内容と実際の病院医療や看護サービス、看護教育、看護行政の変化が、本当に一致していくのを、学生時代から今に至るまで私は目の当たりにしてきました。聖路加には自分の将来のロールモデルとしたい教員がたくさんおり、実習先の聖路加国際病院の看護師にもたくさんいました。
看護教育においては「実習病院でどのような看護サービスが提供されているか」ということがとても大きいと私は思います。現在も、聖路加国際病院では提供されるサービスのレベルが高く、毎年多くの職員を迎える中でそのレベルを維持し、あるいは向上するための努力がされていると、外から見ていて思います。さらに、保健師と助産師の教育課程が大学院へ移行し、学部実習の単位が増やされ、そしてCNE(Clinical Nurse Educator:注1)も新設されたそうですので、実習を中心として学生の学びがしっかりとサポートされているように思います。
当時、聖路加国際大学の校舎の外壁には「神の栄光と人類奉仕のため」と刻まれた礎石が埋め込まれていたように記憶しています。そして、入学式や卒業式の感謝礼拝や「チャペルアワー」(注2)など、クリスチャンではない学生にとっても「祈り」が身近にありました。祈りは「人のために願う」ことでもあり、看護サービスの本質にあるものと共通していると私は思うのですが、それらを教室ではない場所でも学ぶことができたという経験は、自分にとってとても大きいことだったように思います。私は編入生・院生・教員として聖路加に10年間育てていただきましたが、そのときの同級生や教員時代の同僚は同じような心でつながっていて、“みんなでやっていこう”という気持ちが今の私の支えにもなっています。そのときの同僚は教育や研究や医療現場などの様々な場所で活躍しています。“自分のため”だけでなく、私がこの大学に入ったことや同級生・同僚と出会ったこと、様々な仕事・役割を担ってきていることなど、それらすべてが“人の役に立つために” “導かれている”のではないか、とさえ感じます。実は私は父が牧師という家庭で育ちました。でもミッションスクールに入ったのは聖路加が初めてで、「キリスト教概論」が楽しみな授業の1つでした。
変革の時代にある一人の行政官として願うことは、大学時代の「チャペルアワー」で幾度となく唱えた次の祈りです。
God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed, courage to change the things that should be changed, and the wisdom to distinguish the one from the other.
聖路加国際大学がそういう精神性をもった大学であることは、とても大切なことのように私は思います。
(注1: Clinical Nurse Educator = 医療保健福祉など臨地の場でケアに責任をもち、適切に看護行為を実施できるように看護学生を育成していく教員。聖路加国際大学教員とは別に、聖路加国際病院の中で学生の看護実習の教育などに携わっている)
(注2: チャペルアワー= 毎週水曜日の昼休みに開催されるひと時。礼拝、聖書を読む会、聖歌を歌う会、聖歌隊サークルの合唱を聴く会、ゲストによる講演、オルガン演奏体験、チャペルミステリーツアーなど、学生チャペルアワー委員会が毎回のイベントを企画し開催している)