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看護教育100周年記念礼拝 理事長・学長挨拶

2020年10月26日

2020年10月24日に行われた聖路加国際大学看護教育100周年記念礼拝の理事長・学長の挨拶を掲載します。

理事長挨拶

本日は、ご多忙のなか、大勢の皆様にご出席いただき、誠にありがとうございます。ここに看護教育100周年記念礼拝を行うことができました。
情熱を込めて撒かれた一粒の種子が、今日の姿に成長、神様から頂いた100年の賜物を、皆様とご一緒に心から感謝したいと思います。
歴史を振り返りますと、言うまでもなく決して輝かしいことの連続だけではありません。幾度となく大きな困難に直面しました。学園に関わる多くの方々からのご支援ご尽力はもとより、看護教育の先駆者としての自覚を持ち、またキリスト教の愛の精神、即ちその人に関心を持って、思いやる事の精神に基づいて教育・看護を行う、これを建学の精神として位置づけ、この精神の実現の為、限りない努力を注ぎ続けてきた先達のお陰で、今日の姿に至ったものと考えます。

具体的に申せば、短大卒業生303名、4年生大学になり3,677名、修士931名、博士195名、全て合わせ5,958名を世に送り出しております。今や国内外の病院、官公庁や自治体、教育機関で要職を担っております。現在、大学の学長、学部長、研究科長を務めている方が28名、教員が470名、また有名病院で部長等の要職を務めている方が多数活躍しております。また、発展途上国の看護、母子衛生、健康の質的向上の為、教育研究、また実践面に携わり大いなる貢献を行っています。
100年の歴史は、単に過去の記録でなく、生まれた生命の成長の流れであり歴史と伝統の上に日々新たなる歴史を刻み続ける努力が不可欠であることは言うまでもありません。次の100年を目指し、看護師として、社会の一員として、また一人の人間として、専門知識と豊かな教養、そして幅広い視野を備えた人間の育成を目指し、最善の教育環境を提供する法人として努めてまいりたいと存じます。本日は誠にありがとうございます。

学校法人聖路加国際大学
理事長 糸魚川 順

学長挨拶

秋晴れの今日、この場所で、看護教育100周年記念礼拝を迎えられることに心より感謝申し上げます。ここに至るまで導きくださいました先輩、理事・評議員、教職員の皆様、同窓会役員の皆様、ご寄付くださいました皆様、そして多くの患者さんとご家族に心より御礼申し上げます。

1920年秋、聖路加国際病院附属高等看護婦学校が開設されました。当時、すでに日本で看護教育は始まっていましたが、トイスラー博士は「医学の水準は十分でありながら、患者が回復できないのは看護が不十分だからである」と、新たな学校をつくりました。
学生の要件として、それまでの高等小学校卒業で十分とされていた資格を、高等女学校卒業としました。学校評議員の多くの有識者たちは、それは無理、失敗に終わるからと、その資格要件を下げるように進言しました。しかし、トイスラー博士は頑として主張を曲げませんでした。博士はミセス・セントジョンと共に、日本の看護婦の教養と社会的地位の向上を願い、理想実現のために小学校卒業資格だけでは不十分であると主張したのです。1920年10月に80名が応募し、25名の入学を許可しました。これは日本の看護教育史上、画期的な出来事であります。
この挑戦は、その後の看護の大学化、大学院教育の道へとつながっていきます。

先日、私はセピア色の英文資料をいただきました。1923年に起こった関東大震災後にトイスラー博士が、新病院建設の寄付願いに用いた資料でした。中に新病院の設計図がありました。中央にチャペルがあり、4階までの病室のどこからでも水平移動してチャペルの礼拝に参加できる配置になっていて、現在の病院旧館に近いものでした。図面の部屋の名称で私の目を引いたのはSun Roomと記された場所が何か所もあること、そして最上階の4階にはSolarium、つまり太陽の光を取り入れるガラス窓の広い部屋がありました。私はそれを見て、治療する環境には、祈りと自然の光や風を感じる場所が欠かせなかったのだと思いました。
地震と火災によって崩壊した聖路加国際病院・日本再建基金と表示された表紙には31人の看護師が並んでいました。挨拶文の冒頭に記されていたのは、「聖路加国際病院は、東京で唯一のmissionary hospitalである」こと、そして「東京で唯一、適切で近代的な方法で看護師を養成している病院である」と謳われていました。米国に住む人々に向けて寄付をおねがいする趣意書の表紙に<清潔なユニフォームをまとった日本の看護師達>を配置して下さったことに感動し、とても誇らしく思いました。

昨年からこの記念事業として準備してきた活動に「聖路加の看護100のエピソード」があります。同窓生、聖路加国際病院で勤務経験をもつ人々らからご投稿いただきました。戦前・戦後から今日まで。忘れられないシーンや言葉など、貴重な道具箱のようです。看護は、相手の希望や思いを想像すること、そしてそれを現実的な行為に仕立てる特徴があると思います。聖路加の看護は、<いざ、というときに協力を惜しまず、身を挺して働く、献身的に奉仕するチームであった事実>が記されていました。

さて、未来の100年はどのようになっているのでしょうか?
人工知能(Artificial intelligence, AI) とともに生きる時代がやってきます。時計を顔にかざすだけで、何の病気の素因をもっているか、予後はどのくらいか表示されてしまう。同じ病気の人が、どこに住んでいて、どんな治療を受けているか、病気地図を誰でもが瞬時に見える。そんな世の中になっているかもしれません。
私は、人工知能とともに生きる時間と、人工知能なしで離れて生きる時間とを、人間が意図的に使い分ける時代になると思います。その選択力が必要になってきます。
情報を分析して、ある予測や診断に至ることは素早くなるでしょう。しかし、診断名がわかっても、人々は病気に落胆し、治療選択に迷い、未来を悲しみ、取り切れない痛みの生活に苦しむことがあるでしょう。そこに、傍らに寄り添う看護が必要です。
どんなにAIが発達しても、技術を使うのは人間であり「ぬくもりのある人と人のつながり」は、決してなくならない大切な時間です。

Google/Amazon/Facebook/Appleと呼ばれる巨大IT企業の集まる米国シリコンバレーでは、技術開発にしのぎを削る一方で、ストレスの弊害を最小限にすることが奨励されています。日常的にマインドフルネスな時間をもつ、散歩しながら誰かと語り合うこと、音楽を奏でる、小さな幸せを書き出すなど。意図的に人間らしくあり続けることを忘れない理論と実践です。昨日からこの100周年記念事業の一環としてオンライン開催されています国際ヘルスヒューマニティーズ学会では、英国ノッティンガム大学のクロフォード博士が基調講演くださっています。ナースでもあるクローフォド博士は、その講演の中でMutual Recovery(相互回復)という考え方を紹介なさいました。専門家が病む人を回復に導くという一方向だけではなく、ケアを受ける者が医療者に与えるものがあり、ともに回復していく、患者が看護師の人生を助けるという考えです。(参照:Creative Practice as Mutual Recovery)
私は、この「相互回復、相互的な回復」という現象は、AIと人間の間には起こりにくい、まさに人と人との間で生じる予想外の創造的な行為なのかもしれないと感じました。
入院病棟で行われる礼拝は、患者さんも医療者もみんな一緒に歌うことが当たり前です。今は大きな声で歌うことは禁じられていますが、神様の前で同じ歌を歌うことで、お互いに癒しを与え合っている(Mutual Recovery)のように思えます。

本日この礼拝にあたり、卒業生が大好きな校歌、その意味をもう一度考えてみました。
二番の歌詞には、
輝かし金の十字架、みさとしは、かしこにぞあり、
いざ友よ 心みがかん、世の人に
 この身ささげて 美しく はげしく生きん

(キリストの教えは、ここにある。献身的に、美しく、品位をもって、積極的に生きる。)


最後に、誰も想像しなかったCOVID-19に見舞われている2020年10月24日、ここまで聖路加に大きな貢献をしてくださいました皆様とともに祈りの時をもてましたこと、ここに生きていることの幸せに感謝を申し上げたいと思います。これをもちまして挨拶といたします。

聖路加国際大学
学長 堀内成子